東野圭吾の代表作と言えば、「容疑者Xの献身」ですよね。
私もこの作品から東野圭吾の作品に惚れ込んで、様々な物語を読みました。
今回は、「沈黙のパレード」を読んだので、その感想文を書きたいと思います。
「沈黙のパレード」のあらすじ
町の皆から愛されていた並木屋の看板娘の佐織は、3年前に突然行方不明になり、その後遺体で発見された。
容疑者は、刑事の草薙が、別の少女殺害事件で担当して無罪となった蓮沼という男だった。この被疑者は、少女殺害事件で黙秘を貫きとおして無罪となったが、今回の事件でも黙秘をし、証拠不十分で釈放されてしまう。
蓮沼は、釈放後に平然と遺族や町の人々の前に現れ、皆の憎悪の気持ちが一気に増大して爆発し、蓮沼は町のイベントであるキクノ・ストリート・パレード当日に殺害される。
しかし、町の人々は黙秘を続け、草薙はなかなか蓮沼殺害のトリックを暴くことができない。
草薙は、刑事の内海とともに、アメリカ帰りの科学者の湯川に助けを求め、事件のトリックを暴いていく。
「沈黙のパレード」の感想
二転三転するドキドキ
事件の犯人が分かったところで終了しないのが、東野圭吾さんシリーズの面白さだと思っていますが、今作もまさにそうでした。
- 本作メインの蓮沼殺しの犯人とトリックを暴く
- 蓮沼殺しの原因となった佐織殺しの事件の真相①
- 佐織の事件の真相②
といったように、物語の後半から急テンポでどんどん話が展開していきます。
メインの蓮沼殺しの犯人とトリックが暴かれて終わりかと思いきや、まだまだ伏線の回収がたくさんされていくので、どんどん読みふけってしまいます。
本作メインの蓮沼殺しについても、関係者である町の人々がたくさん登場し、みんなが沈黙するなかで犯人やトリックが次々と暴かれていく爽快さがあります。
さらに、それで終わると思いきや、蓮沼殺しの原因となった佐織殺しの真相が次々と二転三転する形で明らかになるので、どんどんのめり込んで行ってしまいます。
すっきりする終わり方
東野圭吾さんが書く物語の着地点が個人的に好きです。
犯人が必ずしも悪の権化ではなく、被害者が全面的に正しいというわけでもない、何かしらの事情を抱えていたりと、複雑な人間模様が描かれているのが、どこか読みふけってしまう理由の一つのように思います。
今回も、
- 被害者である佐織は聡明な美人で才色兼備な女性で、町のみんなから愛されていたが、実は人間じみた欲を持っていた
- 佐織を殺した留美は、留美の幸せを第一にずっと考えて尽くしていたため、一抹の同情が湧く
- 佐織殺しにとどめを刺したのは留美ではなかったのではないかという描写がある
というように、一方が悪くて一方が悪くないといった描き方ではないのが好きです。
複雑な人間関係が絡んだ結果に起きた事件であり、犯人にも何かしらのどうしようもない事情があることを描くのは、人間染みていて好きです。
ひいては、奇跡的に殺人までは至らなかったという偶然を描くことで、少し救われたような終わり方をするのが、ミステリーだけど少しホッとする人情愛のあるマッチポンプ的な小説であると思います。
黙秘について考えさせられる
この小説は、黙秘権について考えさせられる内容でした。
悪質な事件を起こした被疑者が黙秘権を行使して、釈放されて、普通の生活を送っている一方で、被害者家族は苦しみ続けている…。
この対比を見事に描いているところが、生々しくて、本当にこの司法制度は正しいのだろうか…と考えさせられました。
特に、町のにぎやかなパレードの非日常的な描写が、事件以来、黙秘権を行使して釈放された被疑者と苦しむ遺族や関係者の止まっている時間と対比的に描かれていて、止まった時間をより強調させているように感じました。
社会問題・人間模様にフォーカスするのが、東野圭吾の作品らしいなと思います。
「沈黙のパレード」の魅力とポイント
タイトルの仕掛け
この物語のキーワードは、タイトルにもあるように、黙秘と沈黙です。
沙織と少女殺しの容疑者である蓮沼が黙秘を貫いて釈放されたことがきっかけで、物語が動き出す。そして、蓮沼殺しに関わった町の人々が貫く沈黙…。
この2つの黙秘と沈黙によって、トリックがなかなか解けず、事件の真相にたどり着くのが困難になります。
しかし、タイトルには「沈黙」のパレードとあり、「黙秘」という言葉は使われていません。
そもそも、沈黙とは、
①だまって、口をきかないこと。「―を守る」「―を破る」
広辞苑
②活動せずに静かにしていること。「5年間の―の後、作品を発表する」
という意味であり、客観的な静寂を意味していますが、
沈黙は、
秘して言わないこと。「―で通す」
広辞苑
という意味で、主体的に何かの意図をもって隠すために静寂を保つことです。
つまり、「沈黙のパレード」は、蓮沼が殺されたことについて、意図的に隠すのではなく、それについてただ黙っているということであり、町の関係者が蓮沼殺しについて実際には何も知らないということを暗に意味しているのではないでしょうか。
蓮沼を恨んでいる町の人々はたくさんいますが、実際には、真の蓮沼殺しの犯人以外は1人であり、その人以外は、殺しやトリックの真相を知らないので、「黙秘」ではなく「沈黙」とされているのだと思います。
そして、キクノ・ストリート・パレードになぞらえて、町の人々の沈黙が連なっていることを、「沈黙のパレード」と表現されたのではないかと思いました。
ガリレオシリーズ好きにはたまらない
この物語には、「容疑者Xの献身」以来、ガリレオこと湯川学が登場します。
ガリレオファンにはたまらないですね。
容疑者Xの献身を回想するシーンもいくつか出て来て、東野圭吾ファンとしては、おぉー!っとわくわくどきどきする瞬間が多かったです。
湯川先生が、過去の事件を振り返りながら今回の事件を解決する描写は、湯川先生が人間的に内面が変化していることを読み取れて、ファンとしてはたまらないシーンです。
容疑者Xの献身と同じく、映画化されているので是非ご覧ください!
人間模様が細かく書かれている
容疑者Xの献身もそうであったが、この物語も登場人物の感情・他の人物との接点といった人間模様がとても細かく描かれています。
人間模様が細かく描かれているので、人物に感情移入しやすく、ついつい物語に没入してしまいます。
それぞれの登場人物が抱える喜怒哀楽や、その感情の背景がどんどん明らかになっていくので、一気読みしたくなる作品です。